同時に、ビルマも巨大なサイクロンに見舞われました。
犠牲者は中国で震災当時50万人以上、ビルマで13万以上。
しかし直後の両被災国の対照的な動きと対応。
ビルマではその後、犠牲者数が大きく膨れ上がりました。
軍事政権による弊害でした。
「お金や物資は欲しいが人間は入るな」
政府の方針により、世界各国からの医師やボランティア等の支援入国を許されなかったのです。
そして送られて来るお金や物資の多くが、被災者まで届かず、政治運営へと消えていく信じ難い現実。
というか、もはや政治運営もクソもない話で。
ついに日本政府も他国同様、ビルマへの支援を打ち切りました。
つまり住民は、ビルマ政府により見捨てられ、更に犠牲になったのです。
先日足を運んだ星陵会館での沢知恵さんのコンサートは、その被災者救援のチャリティーによるもの。
今回の収益金は軍政を一切経由せず、ビルマ市民フォーラムを通じ、ビルマの人々へ確実に届くとのことでした。
日本もかつては軍事政権でした。
1940年から1945年。
あの時代に生まれていなかった自分にとって、これまで資料や映像でしか知ることができませんでしたが、ただ漠然としてではなく、現実として今なおそういった制度が続いている国があると思うと、心が痛いです。
命の重さは、皆平等なのに。
ビルマ政府の抑制に立ち向かう民主化闘争のリーダーであるアウンサンスーチーさんは、1989年からずっと国家防御法により自宅軟禁されています。
政府という存在、権限とはそもそも一体なんなのだろうかと、素朴な疑問を強く抱かずにはいられない事実です。
こういった事実を、普段は何気なくニュースで見てやり過ごしていたものが、好きなアーティストを通して更に深く知る機会を得るというのは、とっても感慨深いです。
“コンサート”なので当然そこには“唄”が在るわけですが、その唄の力というものの偉大さにも改めて実感します。
私の中で、またひとつ、沢さんという人間と唄を深く愛しました。
今回特別ゲストとして、いとうせいこうさんが出演されました。
テレビやラジオではよく拝見しますが、独自に軍事政権への取り組みをされていたとは全く知らなかったな。
コンサート中盤に登場され、いとうせいこうさんがビルマ軍事政権に抗議するポエトリーリーディング「QUIET」を、沢さんのピアノと唄とダブマスターX(ダブMIX宮崎泉さん)さんと共に繰り広げられました。
こぉれが…
凄かった。。。
いとうせいこうさんのポエトリーリーディングには独特な明暗があって、決して強引ではなく、むしろ突き放される感じというか。
例によって一番前の席で私は観ていたのですが(仕事終えて永田町まで超ダッシュして最前列ゲット)、めちゃくちゃ目の前に居るのに、ずっとずーっと遠くに居るような。
でも最後には優しい何かでフワッと包まれるというか…むむむ。
これまで色々な方のポエトリーリーディングを拝見する機会があったけれど、なんか凄く度肝を抜かれました。
そこにどっしりと太い川が激しくも優しく流れるような沢さんの唄とピアノ。
沢さんも今回こういった形は初めての体験だったようで、「QUIET」が終わった直後、少々放心状態にみえましたが、聴いている私も同様でした。
でもいとうせいこうさんは、スタスタと舞台袖へとはけて行った…(笑)
なんともかんとも…凄い人だっ。
そのポエトリーリーディングの中で、印象強く残った言葉があります。
悪の唱導があるならば
善の唱導があってよい
彼等は我々であり、我々は彼等である
(※もしかしたら「唱導」=「衝動」かもしれません。)
自分に何ができるか。
感じたことをどこまでどうしたらよいのか。
色々なものを観たり聴いたりする度、いつも悩みます。
このウェブログという形で無制限の人に読まれるという可能性の中で。
でも、「人にされて嫌なことはしちゃいけない」と教えられたように、その逆もありかな、と。
伝えたい衝動に駆られたら、伝えてみようと。
自分の感受性をもう少し信じてみようと。
兎も角にも、まずは知ることが大事だし、そもそも知ろうとするキッカケがなくては。
私がここに綴ることによって、ほんのわずかでも、こんな私からでも、ここを読んでくださった方が知るキッカケになればと願います。
物販でいくつか書物を買って帰りました。
今読んでいるのは、タイ・ビルマ難民キャンプに図書館を作るプロジェクトに参加している女性の本です。
先にすぐ読み終えたのが、少女達の人身売買の話。
アウンサンスーチーさんやその実父についてももっと読んでみたいと思いました。
本をゆっくり読む時間をこれからはもっと作りたいなぁ。
注:「ミャンマー」とは、1991年以降ビルマ政府が定めた名称です。
ここでは元来の“ビルマ”として、綴らせていただきました。
<追記>
現在もなお、軍事政権が統治する国
・タイ
・リビア
・スーダン
・モーリタニア
・フィジー
・朝鮮民主主義人民共和国
最後に。
私がずっと抱いている悩みがあります。
「カンパ」について。
出入り口に立っているスタッフが持っているカンパ箱や設置されているカンパ箱にお金を入れることが、私にはできませんでした。
(今回に限ったことではない)
帰りがけに、お財布に入っている小銭をジャラっとでもチャリンとでも入れるつもりだったんだけど。
やっぱりできなかった。
ほんの1円でもいいのだろうけど。
なんでだろ。。
もちろん、今回のコンサートチケット代や物販で購入した数冊の本の収益がそもそも救援にはなっているんだけどね、なんてゆうか、それプラスα、“お金”そのものを一体いくら入れればよいのか迷うのです。
あ、別にケチってる話ではないのよ??
わかってもらえるかしら…。
なんていうか、現地での出来事の、この先の果てしなさを強く感じてしまって。。
んー、入れるのは簡単なんだけどさ…。
コンビニにある募金箱とかも同様、いつも思う。
単純に“お金”だけを入れるっていうのが、あまりにもクール過ぎるような。
でも一番必要なのは“お金”なのかもしれないという気持ちと。
簡単そうで超複雑なこの心境、わかってもらえるだろうか。
‥言ってちょっとスッキリした。
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